1998年 | 看護学校に入学するが「道が違った」と退学。地元のケーキ屋さんでお菓子修行を始める。右も左もわからず苦戦。製菓学校に行こうと願書を出すも、すでに定員いっぱいで断られる。 |
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2000年 | 「第1回 ボワロン杯 パティシェール コンクール」準優勝。 |
2001年 | 当時「リーガロイヤルホテル(大阪)」にいた若林氏が作る飴細工に魅了され、師事。 |
2002年 | 「第5回 内海会 ジュニア技術コンクール」銀賞 |
2003年 | 若林氏の移籍に伴い、東京・六本木「ル ショコラ ドゥ アッシュ」の立ち上げに関わる。焼き菓子担当を務める。 |
2005年 | 渡仏。パリのブーランジェリー「モワザン」で修業。毎日3,200個のクロワッサンを作った。 |
2006年 | 17区のパティスリー「ラ・グリヨン・ドートイユ」に移る。 |
2007年 | 仏・トゥールーズであるコンクール「Toulouse Festival Occitània」に挑戦。パリからトゥールーズまで大きなショコラのピエスモンテをTGVで運び、見事準優勝。 |
1年半のビザが切れ、一次帰国。半年間、名古屋で新規パティスリーの立ち上げに関わった後、フランスに戻る。15区のモダンで洗練されたパティスリー「デ・ガトー・エ・デュ・パン」に入る。同時に労働許可証も取得。その後、パリでしかできない仕事をしたいと、バスでふと通りがかりに目に入ったレストラン「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロビュション」(2つ星)に履歴書を持って飛び込む。幸運にもパティシェの席がありすぐに採用され、パティスリーシェフ・ドゥ・パルティを務める。 |
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2008年 | 「ル・ムーリス」(3つ星)「ル・グラン・ヴェフール」(2つ星)など、名高いレストランでデセールを担当。 |
2010年 | 帰国。製菓・製パン材料や機器を扱う輸入商社「ルーツ貿易」に就職。自社商材の魅力や使い方をパティシェに伝えるデモンストレーターとして、日本各地を巡る。 |
2012年 | 独立。雪が谷大塚に「シュクレリーナード」をオープン。「焼き」にこだわったフランス伝統の焼き菓子やパンは、地元に根付き、日々多くのお客様が訪れる人気店に。 |