日本人フランス菓子職人のパイオニアのひとり、東京・麹町「パティシエ・シマ」の島田進シェフ。そのキャリアはすでに半世紀以上になる。70歳を超えた今も変わらず精力的に活動を続ける、まさにレジェンドのような存在だ。
「日本に本物のフランス菓子を広めたアンドレ・ルコント氏の片腕」「クレーム・アンジュやクレーム・ブリュレ、生チョコを国内に広めた先駆者」「2005年、フランス政府より『農事功労章シュバリエ』を受勲」など、島田シェフのプロフィールに並ぶ文字は、そのまま日本におけるフランス菓子史の一部になる。
2017年には、厚生労働省が各分野の卓越した技能者を表彰する『現代の名工』にも選出。数々の受賞歴については「ほとんど(取り組んできたことに対する)結果の話ですからね」とあっさりした口調で話す。
「私と河田さん(「オーボンヴュータン」の河田勝彦シェフ)が、同じくらい古い洋菓子職人だと思います。僕が若い頃は“パティシエ”と呼ばれる職業はなくて、お菓子を作る人はパン屋さんや洋菓子屋さんの“職人”という位置づけでした。街の職人にはなりたくなくて、絵の勉強をしながら神戸の洋菓子店で働いていたのですが、フランス人の方が六本木に洋菓子店を開いたと聞き、『ぜひ働かせてください』と手紙を出しました」