お菓子は食べるアート。そう実感するケーキを数々生み出しているのが、都内に3店舗を構える「ロートンヌ」のオーナーシェフ、神田広達さん。国内外のコンクールで受賞歴があり、ビジュアルで人を感動させる芸術的なお菓子作りはお手のもの。素材の持ち味を引き出し、季節感を表現するテクニックにも定評がある。
お店は秋津(東村山市)、中野、立川市という都心からやや離れた立地にありながら、遠方から通うファンも多い人気店だ。
神田シェフ:
「その昔、初めて受けた取材がボツになったんです。その週刊誌の編集長が『読者がこんなローカルな場所に行くのかね』って掲載を取り止めて。それを聞いて、『今のお店はそんな理由ではじかれちゃうレベルなんだな』と、さらに努力するエネルギーに変えました。
立地で判断されるのは残念ですが、ロケーションは確かにステータスのひとつ。だから、郊外店としてどう発信すれば人の目に留まり、食べてもらって味を知ってもらい、認めてもらえるお店になるのかをすごく考えました」
取材でお邪魔した中野店は、白と黒を基調としたシックでモダンなインテリア。その中にカラフルなアートやかわいらしいオブジェが点在し、親しみやすさも同居する独特の世界観が広がっている。イートインスペースでは、ケーキのペアリングに最適なコーヒーや紅茶のほかに、厳選した旬のフレッシュフルーツを使った手作りスムージーも味わえる。
神田シェフ:
「お店のカラーコンセプトは“全色”。色の始まりが“白”、終わりが“黒”なので、ベースカラーを白と黒にしました。僕自身が大人っぽさを演出したいときもあれば、内面の子どもっぽさを見せるときもあり、遊び心のある小物なども置いています。
お店をはじめた頃は、修業時代に学んできたことを実践したくて、“洋菓子”ではなく“フランス菓子”という響きに憧れていました。でも、日本ではケーキの代名詞がショートケーキで、バースデーケーキといえばデコレーションケーキ。それらはフランス菓子ではないので、最初はすごく葛藤がありました。そこで選んだのが、デコレーションにフランスのエッセンスを加えること。やっぱり自分が素敵だと思うものしか自信を持って提供できませんし、おかげでストレスなくギャップを埋めることができました」
神田シェフの実家は和菓子店。お父様が和菓子を作り、別のシェフが作った洋菓子も置いていたというお店を、日本とフランスで7年半ほど研鑽を積んだ神田シェフが「ロートンヌ」と名前を変え、引き継いだ形だ。
神田シェフ:
「僕は兄2人妹1人の3男ですが、兄たちは跡を継ぎませんでした。当時、作り手は“パティシエ”ではなく“ケーキ職人”と呼ばれ、今ほどお菓子に華やかなイメージはなく、僕も興味はありませんでした。両親は『自分がやりたいことをやりなさい』と言っていたし、本当は小6の頃から続けていた音楽をやりたかった。でも、僕には音楽のセンスや技術もなければ、伝手もない。どの世界もプロになるのは厳しいですが、お菓子なら父が作っている姿を小さい頃から見ていたから入りやすいかなと、軽い気持ちで選びました」
高校卒業後に入店したのは、東京・大泉学園にあった「ら・利す帆ん」。そこで、神田シェフのパティシエ人生に大きな影響を与えた、現「モンサンクレール」オーナーシェフの辻口博啓さん、「スイーツガーデンユウジアジキ」オーナーシェフの安食雄二さん、そして当時のマネージャーで「ら・利す帆ん」のチーフパティシエを務めた中村俊雄さんと出会う。
辻口シェフと安食シェフもまだ修業の身だったが、すでにコンクールで入賞するレベルの腕の持ち主だったという。
神田シェフ:
「『技術を身につけないとこの世界では残っていけない』と、自由にお菓子作りの練習ができる環境を中村マネージャーが作ってくれていました。
そんな中、辻口さんと安食さんは誰よりも早く工場に来て、誰よりも遅くまで残っている。2人がなぜこれほど毎日練習し、こんなに夢中にさせているのは何なのか、興味が湧いて。2人は細工物をやっていて、こねていたマジパンが可愛い人形に姿を変えていくのを見て、衝撃を受けましたね。
10代の僕は冷めていて、『やればできるんだからあなたも頑張りなさい』なんて大人たちに言われてもまったく心に響きませんでしたが、彼らの作品を見て初めて、素直に『俺もお菓子で人の心を動かせる人になりたい』と思ったんです」
お菓子の勉強や研究に真剣に取り組み始めた神田シェフは、店用のお菓子と、持てる知識や技術を発揮して作り上げるコンクール用のお菓子を同時に学んでいく。
そして、東京都洋菓子協会の50周年イベントとして、1991年に東日本地域で初開催された「ジャパン・ケーキショー」(※現在は全国を対象にした国内最大規模のコンクール)に初エントリー。3カ月にも満たないキャリアで、マジパン部門で銅賞を獲得した。
神田シェフ:
「環境に恵まれていましたね。同じマジパン部門で安食さんも賞をとり、辻口さんが農林水産大臣賞受賞。そんな実力派の先輩たちに直接教えてもらっていたからこその結果だと思います。
また、住み込みでしたし、3カ月といっても今の労働環境とは密度が違う。住み込みでないとやっていけないほど仕事はハードでした。2段ベッドと洗濯物だけがある大部屋にみんなで暮らし、毎朝5時半に仕込みがスタート。製造業務が終わったら店に立ち、喫茶スペースの仕事もして、21時の閉店後に片付けをする。まかないを食べて、銭湯に行くと深夜になり、とにかく時間が足りませんでした。
細工物の練習ができるのは、お客さんがいない細切れの時間か仕事の後。夜、練習していて気分がのったり集中していたりすると、そのまま朝になっていることもありました」
寝食以外の時間はほぼすべてお菓子に費やしていたといってもいいほど濃密だった「ら・利す帆ん」での5年半弱。大変だったけれど、とても楽しかったと振り返る。
神田シェフ:
「同僚たちはみんな強烈な個性を持っていたし、いろんなことがありすぎて、ちょっとやそっとじゃ切れない絆のようなものができました。特に辻口さんとは、今でも兄弟みたいな間柄。お菓子作りがとにかく楽しくて、教えてもらったことができるようになる喜びや、作り上げる達成感はもちろんありましたが、洗い場も含めてすべての工程でやりがいを感じました」
- Interview vol.2 へ続く -
cotta徹底取材!プロの仕事 神田広達シェフ インタビューvol.1
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