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Interview vol.2
ポジティブな心構えで、
無理なく世界を広げる

お店での仕事とは別に、コンクールのために腕を磨き続けた神田シェフは、ひと足先に「ら・利す帆ん」を卒業し、新宿のホテル「センチュリーハイアット」(現・ハイアットリージェンシー東京)で働いていた辻口シェフの元を訪ね、ホテルの場所を借りて飴細工を学んだ。

神田シェフ:

「ホテルは街場と比べて材料や道具が揃っていて、時間の余裕もあって、コンクールに臨む環境が整っていました。だから、コンクールではホテルのパティシエが強いというのが当時の定説。そんなホテルの人たちは僕の訪問を快く受け入れてくれて、本来のつやがなく使えなくなった飴の塊などをもらい、飴の扱い方の感覚を練習したりしました」

その後、神田シェフも『ら・利す帆ん』を上がり、半年~1年単位でのフランス滞在を繰り返し、現地のコンクールに参加。そして、25歳のときに辻口シェフと共に実家の「ロートンヌ」に入店した。2人はここでもコンクールに力を注ぐ。

ホテルのパティシエよりも長く働き、寝る時間を削って練習している自負はあったが、しばらくはホテルの勝利が続いたという。なかでもピエスモンテ(大型の装飾菓子)は街場のパティシエが絶対に優勝できないと言われていたことから闘志に火が付き、ついに1995年行われた内海会の「ジャンマリーシブナレル世界大会選」で辻口シェフが1位、神田シェフが2位に輝く。

神田シェフ:

「街場でもコンクールで勝てると証明できて、そこから街場が強くなっていきましたね。この大会の優勝と準優勝には、ショコラのワールドカップ『ジャンマリーシブナレル杯』の出場権が与えられました。こんなふうに、いつも新たな道を切り開くのが辻口さんなんですよね」

「モンサンクレール」をはじめバラエティ豊かなコンセプトのブランドを複数展開する辻口シェフは、後進育成のための学校や教室も運営。2019年初めには主演のドキュメンタリー映画 「LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)」が公開されるなど、多方面で活躍している。

一方の神田シェフも、2019年3月にアメリカ・ラスベガスに鉄板焼き「達神」をオープンするなど、現状に満足せずチャレンジし続ける姿勢は同じだ。

神田シェフ:

「同じ場所に停滞していたくないし、常に攻めていたい。年齢だけは毎年重ねていくし、体力は落ちていくけれど、積み重ねてきた経験があるからこそできることを、新たに打ち出したいんです。人生一度きりですからね。もっと世界に発信していきたいですし、ラスベガスに店があればレディ・ガガに会えるかなと(笑)。

鉄板焼きって、最初に素材を見せてくれて、目の前で調理してくれて、お菓子とはまた違う贅沢さがある。料理とお菓子作りって理論は違いますが、美的センスはそう変わらないんじゃないかな。新たな試みとして、フレンチ鉄板をやりたいと思っています」

より高みを目指すのは、仕事に対する神田シェフの一貫したポリシーだ。どんなプロセスでも、どうすればもっと良くできるかを考えて実践し、その達成感をやりがいに変えている。

そして、勤勉であると同時に効率も重視。今日初めてお菓子を作るという人でもできる工程と、仕上がりを左右する重要な工程を見極め、掛ける労力を変えているという。「ロートンヌ」がケーキ、アントルメ、焼き菓子、パン、ショコラまでを幅広く、かつ高いレベルで提供できるのは、同じ時間でより多くの仕事をこなす神田シェフの工夫が散りばめられているからだろう。

神田シェフ:

「修業中も、教えてもらったことに対して、どうすればもっと無駄なくきれいに作れるかを、いつも模索していました。だから質問が多くて、教える立場の人は面倒だったしょうね。卵を入れて、砂糖を入れて、牛乳を入れるという工程があったら、『この順番の違いは何なんですか?』といちいち聞いていましたから。

今年の5月、中村マネージャー、辻口さん、安食さん、そして今も辻口さんと働いている宏美さんという女性の5人で、『ら・利す帆ん』のプチOB会をしたのですが、辻口さんが中村マネージャーに『一番手が掛かって大変だったのはぶっちゃけ誰ですか?』って聞いたら、断トツで僕だったと(笑)。でも、真面目で純粋でずる賢くないから、見捨てないでいてくれたそうです」

個性あふれる「ら・利す帆ん」のメンバーの中でも、とりわけ仕事熱心だったのが辻口シェフ、安食シェフ、神田シェフの3名。休日には連れ立って、お菓子の研究のために食べ歩きをしていたという。

神田シェフ:

「たとえば『オーボンヴュータン』(東京・尾山台)のクレームパティシエール(カスタードクリーム)はどうして粉っぽさがなく、これほど濃厚なんだろうと、シュークリームを全部買い上げて、クリームを皮から出して分析しましたね。粉は何が違って、卵はどうなのか知りたくて、もう一度加熱してみたり」

当時は稀少だった「オーボンヴュータン」のクレームパティシエールの作り方をはじめ、プロのパティシエによるレシピも、今なら市販のレシピ本やネットで手に入れることができる。平成初期ならではの苦労エピソードかと思いきや、むしろそれが良かったと神田シェフは断言する。

神田シェフ:

「僕には、自分の手足を使って食べたり学んだりしたお菓子にそれぞれ思い出の味があって、『銀座三越のデパ地下のダロワイヨのお菓子を買って、階段の下で食べたなぁ』とか『大変な思いをして、ゴミ箱を漁ったね』というストーリーがある。でも、本やネットから得た情報にライブ感はありません。そのせいか、今の若い人たちは作るお菓子に物語がなく、ストーリー作りが苦手な人も多い。おいしいものって普通に食べてもおいしいかもしれないけれど、そこにストーリーやうんちくをのせてあげると付加価値が生まれて、より魅力が増すと思うんですよね」

- Interview vol.3 へ続く -

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