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Interview vol.1
時代を超える伝統的なフランス菓子を継承

ここ数年、伝統的なフランス菓子が見直されている。そんな時代の流れとは関係なく、2007年のオープン当初からフランスの伝統的な味を伝え続けているパティスリーがある。それが東京・世田谷の「ラ・ヴィエイユ・フランス」だ。

オーナーの木村成克シェフは1987年に渡仏し、「パティスリー・ネゲル」「パティスリー・ラ・ヴィエイユ・フランス」「ショコラティエ・ベルナッション」など、11年間の滞在期間に計6店で修業し、本場のフランス菓子を習得。なかでも、1834年頃に創業されたといわれるパリの老舗パティスリー「パティスリー・ラ・ヴィエイユ・フランス」では、当時のオーナーだったルネ・エルマベシエール氏に師事し、古き良きフランスの伝統菓子を学んだ。

ホテルの菓子職人のお父様のもとで育ったこともあり、幼いころからおいしい食事に恵まれていたという。おかげで食べることは好きで、食の仕事に就けば食べることには困らないだろうと、菓子職人を目指すことに。洋食のシェフや和菓子職人の道もあったが、お父様と同じことをすれば何かと相談になってもらえるだろうという理由で洋菓子を選んだそうだ。

木村シェフ:

「当時はフランス料理が全盛で、お菓子をやりたい人はほとんどいませんでした。みんなが料理家志望で、あぶれて渋々ケーキ屋になったという人はいましたが、僕のように初めからケーキ職人を目指すのは珍しかったですね」

高校卒業後、神戸「ポートピア・ホテル」に就職。製菓学校へは行かずに実践で学ぶ道を選んだ。木村シェフが高校を卒業した80年代初頭は、調理師学校はあったものの製菓学校はまだほとんどなく、またお父様のアドバイスが大きかったという。

木村シェフ:

「当時、父が製菓学校の外来の講師をしていて、『すぐに現場に入れ』と。製菓学校で高い授業料を払うくらいなら、現場でお金をもらいながら覚えた方がいいし、少しでも早く現場に入った方が有利だからって。これは現場を知っている父だからこそ言えることで、普通の家庭に育ったらまずは学校にと考えていたでしょうね。でも、僕は今でも学校に行かずに現場に入って良かったと思っていますし、若いパティシエ志望の子たちにもそう話していますよ」

今よりも厳しかったといわれる80年代の日本のケーキ職人の労働環境。早朝から夜遅くまで働き、休日もほとんどなかったが、職人の子どもだったこともありすんなり受け入れられたと話す木村シェフ。

木村シェフ:

「最初のホテル時代は、先輩のアシストがメインでした。労働時間が長くてもなんとも思いませんでしたが、同窓会などのイベントにも行けないのは寂しかったですね。ある金曜日、今でいう合コンみたいな昔の仲間との集まりがあって、今日は早く終わったからと会場に必死で駆け付けたんですが、もう終わっていたということもありました」

シェフが話す“早く終わって”到着した時間が22時前後。毎日いかに遅くまで働いていたかがわかる。お正月は元日から仕事で、大みそかに初詣に行った後、始発で家に帰る友人たちと別れて木村シェフは職場に向かった。でもそれは納得尽く。日曜日に休む人がいれば奉仕をする人もいる。その分、自分は平日休みで空いているときに出掛けられると前向きにとらえていた。

2か所目の修行先は「ポール・ボキューズ大丸」。ここで、70年代にパリの名門ホテル「クリオン」「プラザアテネ」などで修行をし、フランス菓子に精通している倭文八郎シェフに師事。ここでフランス菓子に出合った木村シェフはその味わいに衝撃を受け、子どもの頃から海外にも興味があったこともあり自然と本場のフランスで学びたいという気持ちが強くなった。

1987年に渡仏。当時、日本で菓子職人を目指す人が少なかったように、フランスに製菓を学びに来ている日本人もまだ少なく、いてもそのほとんどは料理人だったという。携帯電話はなく、日本へ電話をかけるときはコインをたくさん持って電話ボックスへ。また、毎日のように日本の家族や友人に手紙を書き、ポストを覗いていたそうだ。

木村シェフ:

「渡仏したばかりの頃は言葉も話せず、周囲とコミュニケーションがとれなかったので、日本語がすごく恋しかった。人生で一番たくさん本を読んだのもあの頃だと思います。日本人はほとんどいないから珍しがられて、僕は職場のパンダみたいでした(笑)。同僚のフランス人たちは、日本がどこにあるかを知らないばかりか、東京と北京の区別もつかない。彼らが知っている日本語は、ハラキリ、フジヤマ、ゲイシャ、それにホンダやソニーくらいでしたから」

職場には優しい人も冷たい人もいるのはどこの国も同じ。家に招待してごちそうしてくれたり、出かけるときには誘ってくれたりするフランス人の同僚もいて、その存在にはとても助けられたと振り返る。

木村シェフ:

「フランスで修行をする人はいても、フランスの家庭の中まで見ることができる日本人はそう多くはいません。フランスの人たちが普段どんなものを食べ、どういう生活をしているのか、その様子を間近で見ることができたのはすごく良かったと思います」

- Interview vol.2 へ続く -

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