東京・世田谷「ラ・ヴィエイユ・フランス」を営む木村成克シェフは、製菓の本場フランスの計6店で11年もの間、経験を積んだ。それだけ長く居られたのは、数々の素晴らしいパティスリーに出合い、その勤務先できちんと滞在許可をとってくれていたからだというが、フランスの伝統的な仕事に対して日本人に労働ビザが下りるのはそう簡単なことではない。
「僕はツイているんです。いい店で仕事ができたのも、ビザがとれたのも運ですよ」と謙虚に話す木村シェフだが、どれだけ現地にとけ込み、必要とされていたかがわかるだろう。
なかでも2軒目の修行先で、その後シェフ・パティシエとして働くことになったパリの老舗「パティスリー・ラ・ヴィエイユ・フランス」は特別だ。ここは師匠として、またフランスの父として慕ったルネ・エルマベシエール氏のパティスリー。ルネ師匠との出会いは木村シェフが20歳の頃に遡る。菓子講習のために来日したルネ師匠の助手として3週間行動を共にしたときに、フランスに来るようにと声を掛けてくれたのだそうだ。
木村シェフ:
「ルネ親方には本当に良くしてもらいました。彼の息子さんと僕が同い年で今でも仲良くしていることもあり、僕のことも自分の息子のように面倒を見てくれました。確かに、当時の僕もよく頑張ったとは思います。それだけ親方のことをリスペクトしていましたから。まさに運命的な出会いで、日本で『ラ・ヴィエイユ・フランス』の名前を使わせてもらって、仕事上のすべてで親方の教えが基本になっています」
ルネ氏のもとで計6年働き、その教えを実直に学び続けた木村シェフは、「パティスリー・ラ・ヴィエイユ・フランス」の日本人初のシェフ・パティシエに就任。精神面、技術面ともにルネ氏より大きな影響を受け、今の自分があると断言する。
木村シェフ:
「親方はクラシックなお菓子をすごく大事にしていました。僕も流行に関心があるタイプではないので、そんな親方が作る王道のフランス菓子に惹かれました。テクニックだけでなくフランスの歴史や文化も学び、自分もその味を伝えていきたいと思いました。また、親方は材料に関してシビアでしたね。コストうんぬんではなく、いつも最良のものを使い、それを無駄にするなということ。生半可な気持ちで取り組んでいては駄目なんです」
1998年に帰国し、東京と福岡の製菓店でシェフ・パティシエを務めた後、2007年に独立。念願の「ラ・ヴィエイユ・フランス」をオープンした。
木村シェフ:
「『ラ・ヴィエイユ・フランス』とは、昔ゆかしきフランスという意味。この名前をもらう以上、尊敬するルネ師匠と同じようなお菓子を提供したいと思っています。僕は日本にいるのですべて同じにはできないけれど、基本的にはフランス菓子をリスペクトしたお菓子を作りたいし、お客様にもそれを感じてもらえる店にしたい。お店の外観やインテリアについてもフランスを感じられるようにしていて、そこは家内に協力してもらい、コンセプトに基づいた世界観を作り上げています」
お菓子作りにはなるべくフランスの食材を使用。木村シェフがフランスに滞在していた80年代後半~90年代後半と比べ、今では多くの食材が日本でも入手できるようになっているが、それでも手に入らないものは臨機応変に日本の食材を活用しているという。たとえば、柑橘類は日本の方が豊富で、それらを活かしたレシピもある。
木村シェフ:
「日本の食材を使ったとしても、味の出し方を和風にするわけではありません。僕の味の基準は、それを食べたときにフランス人がおいしいと言ってくれるかどうか。フランス人にもおいしいって言わせたいし、日本人にもおいしいって言わせたい。僕はそうやって貪欲にお菓子を作ってきました。その基準を満たされなければお店には出せませんし、それは味だけでなく、見た目の仕上がりも同じですね」
お店のスタッフ達にも、同じ基準で指示を出す。そのためにも、修行時代に質のいいフランス料理をもっと食べて欲しいと願っているそうだ。
木村シェフ:
「ファストフードばかり食べていては、フランス菓子の味や良し悪しはわかりません。僕は好き嫌いもないですし、フレンチだけに固執しているわけではなくて、イタリアンも中華も和食もおいしいものは垣根なく食べています。仕事で中華料理は作らないけれど、いろいろな味や香りを感じてトレーニングしないと、いざというときに自分のお菓子の発想がパッと沸いてこない。また、食は子どもの頃からの積み重ねなので、母がちゃんと手作りのごはんで育ててくれたのがすごくありがたかったですね。手作りの料理には気持ちも入りますから。豊かな食体験は必ず何かのときに生きてくるし、とても大事だと200%信じています」
- Interview vol.3 へ続く -
cotta徹底取材!プロの仕事 木村成克シェフ インタビューvol.2
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